2011年7月24日日曜日

Day 25 - 殺す側、殺される側 ~ サラエヴォ (ボスニア・ヘルツェゴビナ)

ボスニア紛争の傷跡が色濃く残る街、サラエヴォを観光する。ホテルの近くの停留所から3番のトラムに乗る。このトラムは「スナイパー通り」と呼ばれた大通りに沿ってサラエヴォ西のイリジャ地区まで走る。サラエヴォ包囲戦中、この通りでは車両だろうが人だろうが、女だろうが子供だろうが、動く物はなんでも町を包囲しているセルビア人勢力の狙撃目標となった。通り沿いには、砲撃や銃撃で破壊された建物がいくつも残る。ボスニア・ヘルツェゴビナ国内のセルビア人勢力の背後には、当然セルビア共和国の後押しがあった。つい一昨日ベオグラードの町で「沢山の人がアメリカに殺された」と言っていたセルビア人が、この紛争の時には殺す側に回っている。逆に、サラエヴォの町に残されたムスリム人やクロアチア人の勢力地域では、セルビア人に対する民族浄化が行われていたりもした。戦争に絶対の正義など無いのだ。それぞれの勢力が、自分たちの生存を賭けて戦う。そこには大義名分もあるが悲劇的な出来事も伴う。ボスニアの地に来ると、そのことが改めて感じられる。


30分弱乗車して、終点のイリジャで下車。ガイドブックには、ここから包囲戦当時にサラエヴォの町と郊外のボスニア軍支配地域を結んで物資輸送が行われた地下トンネルを保存した博物館にいけるとある。停留所の近くでそれっぽい建物を探すが一向に見つからない。人を捕まえて道を聞いてもまったく要領を得ない。しかたがないので、停留所前に止まっていたタクシーに乗って、トンネル博物館まで行ってもらう。と、タクシーは町を出てかなりの距離を走り出した。なんだ、ガイドブックにはイリジャの停留所を下車したらすぐ博物館に着くような書きぶりだったのに、けっこう離れていたのか。タクシーは太い通りから細い道に入り、どんどん人気の無い所へ行く。帰りのことを考えて、必死で道を覚える。10分少々走って、何にも無い田舎道にぽつんと立つ一軒屋に着いた。ここがトンネル博物館のようだ。見学し終わるまでタクシーに待っていてくれるよう頼むが、電話番号を教えるから終わったらかけろと言われてしまう。電話を持ってないのだが…。まあ博物館のチケットオフィスかなんかにかけてもらうこともできるだろう。イリジャからの道のりは目測で4~5 kmといったところ。いざとなれば歩いても戻れる距離だ。


トンネルは元々全長800mほどあったそうだが、今残っているのは25mほど。トンネル以外は当時の映像を流す場所がいくつかと犠牲者の名前が刻まれたプレートがある。視点は当然ボスニア連邦(ムスリム人・クロアチア人)側。そういえば、ガイドブックには博物館の入場料が書いてあったのに、何も払うことなく入ってしまった。そもそもチケット・ブースのような物が見当たらない。困ったな、これでは帰りのタクシーが呼べない。

誰か他の見物客がタクシーに乗ってこないか30分ほど粘ってみたが、来るのは団体客のバスばかりだったので、イリジャまで歩くことにする。来るときに覚えた道を逆にたどり、サラエヴォ空港を横目に見ながら1時間ほど歩く。道を外れるとまだ地雷が埋まっているところがあるため、鉄条網が張ってある。途中には崩れた家や銃痕の残る家がまだ建っている。こういった発見があるのは怪我の功名。


イリジャに戻った後は再びトラムに乗ってサラエヴォ中心街へ。途中下車して、紛争当時ジャーナリストが集ったホリデイ・インなどを見つつ旧市街へ戻る。旧市街は紛争の記憶を忘れたかのようなにぎやかさ。土産物屋や名物のチュバブ・チチなどを出すレストランが並ぶ。しかし、ふらっと入ったグリル・レストランの外壁には、やはり弾丸の痕があった。


土産物屋を冷やかし、サラエヴォ名産だという銅細工の皿を購入。その後昨晩も来たラテン橋のたもとにあるサラエヴォ事件(第一次世界大戦のきっかけになったオーストリア皇太子暗殺事件)の博物館を訪れるが、日曜日で休館だった。残念。

次に、サラエヴォの町のはずれにある道路トンネルに向かう。サラエヴォ包囲戦中、ここは町を守るムスリム人・クロアチア人勢力と、その外を包囲するセルビア人勢力の衝突する前線になった場所。今となってはただのトンネルだが、当時はこの短いトンネルを境に人が殺しあっていた。


次の町モスタルまでの列車の時間も迫ってきたので、ホテルに戻り荷物をピックアップして駅に向かう。

列車の出発時刻までは1時間ほど。クロアチアのザグレブ発プローチェ行きに途中乗車する。駅にある小さなカフェでビールの呑みつつ時間を潰し、発車時刻近くにホームに出てみるが、時間近くになっても列車が来る気配が無い。予定時刻になった頃、ボスニア語で何事かアナウンスされる。近くにいたにいちゃんが教えてくれた所によると、列車の到着が2時間遅れているのだとか。雨も降り出し、ホームにいても寒いので、いったん駅舎に戻り、またビールを飲んで過ごす。

2時間ちょっとしてようやく来た列車のコンパートメントで、流暢な英語をしゃべる旅行者と一緒になった。彼はクウェート人のフセイン氏。クウェートの通信省に勤める技師。2週間ほど休みを取ってボスニアを回っているらしい。ボスニアに来たのは、「ヨーロッパの中でビザがいらない唯一の国だから」と単純な理由らしいが、サラエヴォはいたく気に入った様子。今日の昼間トンネル博物館に行ったという話をし、ボスニア紛争についていろいろ学んだと話す。「サラエヴォには戦争関連のスポットもいっぱいあるね。だけど俺はいいや。戦争はおれ自身何度も経験して、もうそれ系はお腹いっぱいだ。」との彼の返答が印象的だった。

その後、これまで訪れたいろいろな国の話になる。フセイン氏の一押しはイエメン。今はテロが頻発しているので、落ち着くのを待たなければいけないらしいが、イエメンにあるなんとか島(名前失念)は最高に綺麗なパラダイスだと言う。なんでも目に入ってくる色が、海と空の青、砂浜の白、樹木の緑の3色しかないらしい。

「イギリスをどう思う?」、唐突にフセイン氏に尋ねられる。「あんまり好きじゃないね。特にロンドンは、単にでかい都市だというだけで、彼らが誇る文化や伝統が見えないよ」と答えると、フセイン氏もそれには同感だったようで、イギリスはかつてはすごい国だったのだろうが、今は怠惰で疲弊してかつ文化的アイデンティティを失った死んだ国だという結論に至る。話の流れはアメリカに。なぜアメリカは常に他国のことに首を突っ込んで荒らしまわるのか? フセイン氏の問いに対し持論を述べる。アメリカはそもそも伝統も文化も無い。言ってみれば、国の過去の歴史の中に誇るべき遺産が無い。だから国をひとつにまとめておくためには、現在進行形で国民みんなが熱くなれるトピックや分かりやすい敵が必要なんだと。フセイン氏は、そうかもしれないなと頷き、湾岸戦争の話を持ち出した。「サダムが俺らの国に侵攻してきたときのこと、覚えてるだろ?」。自分と名字が同じせいか、彼はサダム・フセインを旧知の間柄のように呼ぶ。「俺らの国に石油が無けりゃアメリカは何にも動きゃし無かったよ。結局はみんな正義なんてもんで動いているんじゃない。汚い大人のゲームだ」、彼は吐き捨てるように言った。

「ところであんた年齢は? 家族はいるのか?」と問われ、33歳不甲斐なくも独身だと答えると、えらく驚かれる。「お前その歳で独身はヤバくないか? 俺は28で結婚したけど、周りのプレッシャーたるや凄かったぞ」と始まり、その後男子たるもの一家を構えて子孫を繁栄させることが如何に大事かを彼の半生記も交えて説教される。最近日本は晩婚化だからね、おかげで少子化が進んで問題になっているんだ、と話を逸らそうとすると、「クウェートでも昔と較べて子供の数がどんどん減って問題になってるんだ。今の家族では、嫁さんは1人だけ、子供はせいぜい7~8人くらいだね」と来た。昔は何人家族が普通だったの? と聞くと、ひとつの家族に20人くらい子供がいるのは当たり前だったんだとか。その後も宗教談義やら歴史談義やらで大いに盛り上がり、モスタルまでの2時間半はあっという間に過ぎた。


列車の遅れもあり、モスタルに着いたのはもう真夜中。サラエヴォで降り始めた雨は土砂降りになっていた。駅の出口でプライベートルームの客引きのおばさんに声をかけられるが、もう予約してあるホテルがあるからと断り、ついでにホテルの場所を聞く。ああそれなら歩いて5分もかからないよ、というので、多少ぬれるのは我慢して歩くことにする。ところがこれまたどこまで歩いてもホテルが見つからない。住所を示して通行人に聞くが、分からないという。30分近く彷徨った挙句、道を行き過ぎていることが判明し、ずぶ濡れになりながら駅までの道を戻る。ホテルは駅ほど近くの細い路地にあった。

ホテルの扉は閉まっていたので呼び鈴を鳴らしてしばらく待つ。寝ずに到着を待っていてくれたらしきおばちゃんに出迎えられ中に。おばちゃんはずぶ濡れの私の姿を見て、バスタオルを持ってきて、さらにはグラッパとイタリアの砂糖菓子を持ってきてくれた。ホテルの名前もイタリア風だったし、おそらくイタリア系移民なのだろう。キツいグラッパの一杯が体を温める。おばちゃんはボスニア語の他はイタリア語とスペイン語しか話せなかったが、ものすごく親切にモスタルの町や次の目的地クロアチアのドゥブロブニクへのバスの時刻や切符の買い方について教えてくれた。もっとも言っていることは半分くらいしか分からない。部屋は5階でエレベータが無いのには参ったが、部屋自体はとても綺麗で広かった。荷物を置いてシャワーを浴びてしばらくすると、グラッパが程よくまわってきてそのまま寝てしまった。

<本日の1枚: サラエヴォの真ん中を貫くスナイパー通り>

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